2015年4月20日月曜日

リサイクルと屎尿

    能都に移住して、少し畑でもと思ってやり始めたのですが、いろいろと課題も出てきたので、図書館へ行って調べることとなり、手にしたのが「現代農業」と言う月刊誌。
  「根腐れをしない畑って?」と言うようなことを学びながらも、「意見異見」と言うコーナーの中の「屎尿の液肥利用・・・」と言う文章と出会った。書いた人は、福岡県豊前市の市長さんで、後藤元秀氏。読んで驚いたと言うか、感激したというか、とにかくこんな視点もあるものだとうれしくも思った。

   私たちと言っていいと思うが、とにかくほとんどの人にとって、屎尿処理は「高度な化学処理で飲めるほどの水にして海に放出する」ことが当たり前で、それが全てで、ベストだと思っている。少なくとも私は今の今までそう思っていた。「屎尿を発酵させて液肥化し、農地に肥料として戻す」と言ったことなど想像だにしていなかった。きれいな「水」にすることが出来るなんて、すばらしい。それが科学技術発展の大きな成果だと思い込み、屎尿を肥料にするなど半世紀も前のことではないのか、そう思っていた。
 実際私が子どもの頃、各農家には「肥だめ」と言う場所があり、そこに自分たちの屎尿をしばらく寝かせておいて、畑に撒くと言ったことが普通に行われていた。私自身も父親と一緒に天秤棒で肥(こえ)担(た)桶(ご)を担ぎ(担がされ)、畑まで運び、野菜にかけたりしたものである。もっと以前は、金品になる商品でもあったようだ。
 
   さて、その市長さんの取り組みであるが、「乾燥してカロリーの高い乾燥肥料として活用」「一袋(10㎏)30円販売」「経費として出て行くはずの肥料代がほとんど残る」「農家に好評」「悪臭がある」といったこと以外は、いいことばかりのようである。
 そりゃそうでしょう。私も鶏糞などを使ってはいますが、鶏は人間の食べているものに比べれば、大したものを食べているわけではない。人間のそれは肥料としても上等なものでしょう。人間はいいものを食べていますから。使わない手はない。ただの水にするよりよほどいいように思われます。と同時にこれこそ究極のリサイクルのように思われます。なぜなら、人間そのものがリサイクルの輪の中に組み込まれているわけですから。人間の食べて排出することが、自然の循環の一角を堂々と占めていることになりますから。
  しかし、今の私には、市長さんに頑張れとしか出来ることはない。今自分の屎尿をそのまま畑に、子ども時代のように撒くことはとても出来ないようだからです。
 
    能登に移住して出会った本の中から、思ったことを書いてみました。
 
   能登に来てからいろんなことに出会う。昨日はご近所の方に山菜の一つ、ウワバミを教えてもらって食べた。出会いたくもないが猪にも出会う。そんな日々です。

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