2015年9月19日土曜日

我が子が不登校になったら  Ⅳ

我が子が不登校になったら Ⅳ
 
 どんな取り組みが更に考えられるだろうか。(前回の続き)
 
  家族と外へ向かって出かけることは前回考えたところですが、一緒に遊ぶことは遊びを通して確かな関係性を構築することいなる。更に、そうした遊びの中で、例えば、家で本人が興味を持っているなら将棋やオセロなどをするのもありだと思う。特にゲームなどに夢中になっている人をゲームから少しずつ距離をとらせ、離脱させる方法の一つとも言えるだろうし、対人関係をより豊かなものとするためにもなると思われます。
 人と人との関係性を構築する上で、趣味というのは大きな介在物(仲立ち)となり得る。また、外へ出ると言うことであれば、魚釣りもいいように思われます。親子で釣り自慢や、道具の工夫などやりとりするのも楽しい。ボウリングなど軽い運動系のものもいいかもしれない。好きなことに打ち込めるというのは人生をより有意義に過ごすためには、どうしても必要なことであるように思われます。
 自分の話になるが、子どもの頃に父に何度も連れて行ってもらった釣りを、今この歳になって、思い出しながら、週に2日は釣りに出かけている次第です。
 料理を作るのも非常にいいようです。料理作りは、プランニングであるとかの色んな脳を刺激をする要素が含まれており、また、コミュニケーション能力を高めるという研究もあります。更に、それを食べた家族が「おいしい」「有り難う」などと言えば、本人の自尊感情も高まるし、存在感、有用感も高まることが期待出来ます。もちろん幼い子ならば、最初は一緒にし、お手伝いという形で、可能になれば少しずつ任せる形を取のがいいと思われます。一緒に、コラボすることの意味と、やがては自立すると言う意味で少しずつ任せると言うやり方が言いように思われます。
 少し話はずれますが、高橋和子氏は「家庭でできるソーシャルスキル援助」(高機能自閉症児を育てる、2010)で、例えば、食事に関してはカップラーメンを作ることから始めています。氏の取り組みでは、初めは一緒に床屋へ行きそのうち一人で床屋へ行くと言ったような取り組みや電車の乗り方が切符の買い方から始めて、やがては一人の小旅行を行うなど、いろいろな取り組みが年齢を軸にして、この年齢ではこれが出来るようにとかプランされています。自活、自立に向けて取り組みのあり方の一つとして大いに参考になるのではないかと思います。
  私自身の関わりの実際の例ですが、不登校の中学生の相談で見えていた母親とのやりとりで、「そういえば父親が、若い頃ドラムをやっていた。」と言うことで父親に話したら、久しぶりに「息子と一緒にやるか。」となり、父親もその気になって取り組んで、やがてついには、彼は外で披露し始めたということでした。
  楽器はともかくとして、カラオケもいいのではと思います。思い切り歌を歌うことで、発散し心のケアにもなり得る。また、カラオケをもとに、お友達と歌うきっかけにもなり得る。人と人をつなぐ物は何も言葉だけでなく、いろいろな物でつながっている、と言うよりむしろ趣味であるとかの取り組んでいる物を介してつながり合っていることの方が多いように思われます。従って、もし家族で何かを取り組め、家族で楽しめるならるようなことがあれば、それに越したことはないように思われます。それを介在させて人と人とのつながりが広がればいいように思われます。
 
   また、重要なことは、家族であろうと誰であろうと、人と一緒に何かをして楽しかったと言う思いであるとか、感覚とか感情をより沢山豊かに経験出来ていることが、その後の社会へ出るための意欲を高めると思われます。不登校になったと言うことは、恐らく大きな要因の一つとして、人間関係につまずいた可能性があると思われます。そうすると、苦い経験をした、あるいはしているのであって、となれば社会(学校)へ出るためには、それを乗り越えるための更なる意欲が必要になってくるように思われます。そのための取り組みの一つとして、今何が取り組めるかと考えて時に重要な取り組みの一つではないかと考えられます。人と何かをして楽しかったと言う思いが、意欲を高めると考えられます。社会って楽しいな、面白いなと言う思いがなければ、自分の世界だけに居ればいいやと言うことになりかねない。その方が気楽だし。
 

 ところが、太陽を浴びて、散歩もして元気が出てきた。けれども学校へ行かない。親御さんは「元気なのに、家でゴロゴロして、ゲームして」「腹が立つやら、悲しいやら」「何で、何で」「そう思ったらたまらない」とおっしゃいます。周囲から、どうしても怠け者、怠けているとみられてしまいがちですし、親としても、理解はしていたとしても、苛立ちを覚えるの当然であるように思われます。
 
 が、子どもの方は、行かないのではなく、行けない現実があるようです。「先生、移動教室へ行くときも、何をするときも誰も声かけてくれず、いつも一人でいる寂しさ分かりますか。」「ぽつんと一人で、更衣室の暗い部屋でに居る。いつもそんなん。」「このつらさ分かりますか。」「おかあさん!何も分かっちゃいない。」「授業中はまだ誰もあまり話をしないのでいいけど、休み時間、ひとりぼっちです。」不登校のほとんどの子たちがこのように言います。誰にも相手にされていないつらさ。意識的にそうされている場合もあるだろうし、いつの間にかそうなった場合もあるかも知れない。色んなケースがあるように思われます。また、逆に、多人数や人との関わりが苦手な子たちも少なからず居るように思われます。そうした子たちもやはり教室には入れないケースが多いようです。
 そうした子どもたちの思いを、まず理解することが不登校の問題に対処するため大前提ではないかと思います。そのことがなければ、本人さんの応援を考えたときにうまくいかないことが多い。私自身の失敗ケースですが、「要は学校へ行けって言うことでしょ。」と言われて、面接は終わりになった。苦い経験をもとに、遠回りのようですが、本人さんの思いであるとか、やはり成長発達を基本に据えた応援が肝要ではないかと、思っているところです。
 
 今回はここまでにします。 
 
 次は居場所について整理し考えたいと思います。

カウンセリングルーム 希望の翼です。
      http://tubasa-counseling.com/
  
 
 参考文献
   調理による脳の活性化(第一報)  川島隆太・山下満智子ら  日本食生活学会誌(2006)
   思春期のここが肝心           成田奈緒子(監修)      石川県教育委員会(平27年度版)  
   脳の進化で子どもが育つ       成田奈緒子          芽ばえ社(2006)
   セロトニン欠乏脳            有田秀穂            日本放送出版協会
   高機能自閉症児を育てる       高橋和子           小学館() 

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