2018年3月22日木曜日

マインドフルネス


久しぶりにブログを書きます。

今回はマインドフルネスの効果について書きたいと思います。

 ――マインドフルネスとは「瞬間瞬間に立ち現れてくる体験に対して、今の瞬間に、判断しないで、意図的に注意を払うことによって実現」するものです。


 

     MRIで脳の機能を調べた研究によると、デフォルトモードネットワーク(DMN)の接合度合いが活性化されたとのことです。これは脳が何もしていないときに、活性化している脳のネットワークで、認知症を発症していると低下が著しいものです。さらに続けると脳の機能だけではなく構造も変化するとの報告もあります。注意集中が高くなり、自分が何を認知しているかを認知するメタ認知が強化される。この能力は、勉強するときに非常に大切な能力です。

     ADHDへの効果

 マインドフルネスによって注意機能が改善されることを考えれば、当然ADHDの児童生徒さんへの改善も期待されます。実際の研究では、不注意行動・多動衝動行動のどちらにおいても改善効果があることが示されています。ADHDの不注意優勢型においては、十分に改善されたと報告されています。不注意優勢型は、気が散りにくくなり、学校での勉強など、持続的な努力が必要な課題に対して、取り組むことができるようになると思われます。

 

     以上、今回はマインドフルネスの効果について、2点紹介させていただきました。次回も引き続きマインドフルネスについて書きたいと思います。

引用文献
 山川修 マインドフルネスを教育に活かすための一考察 2015
 藤田彩香ら 児童に対するマインドフルネトレーニングがADHD症状改善に及ぼす影響
                                     2013


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2017年1月26日木曜日

色の世界を初体験(色覚補正めがね)


  66歳のこの年齢になるまで見たこともない色の世界を体験した。
   私の目には、桜の花の色は余程濃い色でない限り白い花でしかない。秋の紅葉を黄色以外美しいと思って眺めたことがない。紅葉狩りという言葉があるようだが、私には無縁の世界だった。山登りにはよく行ったが、紅葉に時期に、周囲は「わー!、きれい」と歓声を上げるが、私には「へー」としか思えなかった。
 そう、私は色覚異常者だった。赤緑色盲という診断名でした。もちろん日常生活には何の支障もなかった。高校の進路選択の時に、理系をやめて文系にしなければならなかったときは、さすがに辛かった。が、今の時代はそんなこともないらしい。かといって、私みたいに色の世界を楽しめない人が、少なからずいることに変わりはないと思われるが。
 が、しかしである。それが変わる事態が起きていた。私には青天の霹靂と言いたいような事態である。え~!!そんなのあり~!!と言う事態である。色覚補正めがねの登場である。
 先日めがねを買い換えようとして、メガネスーパーに出かけた。それがその店にたまたま、検査道具等が置いてあると言うことで、早速受けてみた。そしたらなんと、あのつぶつぶの検査表が見えたではないか。くっきりと。驚きである。そう思っていたらお店の人の計らいで、しばらく外の景色でもと言うことになり、しばらくそこらを歩いてみた。向かいの店の着物屋さんへ入る。綺麗な振り袖が飾ってある。色鮮やかであった。見事であった。こんなにも綺麗なものかと、しばらく感動に浸っていた。また、眼鏡屋さんのお店で見せてもらったいくつかの写真の中に桜もあった。それがピンクなのである。人々はこんな色合いの景色を見ているのだなあと、羨ましく思った。自分が残念にも思った。が、まあ、これが自分の人生かとも思う。
 ちなみに値段を聞いた。7万円である。その値段を聞いて、今更いらないやとも思って、帰った。でも、若い人には朗報だと思う。高いけどぜひお試しあれと思う。そう思って、この文章を書いた。それにしても、あの桜がピンクに見えた。嬉しい。
 

マインドフルネスとADHD


 最近テレビなどでよく報じられているマインドフルネス。多くはうつとか大人を対象にした取り組みの話であるが、実は児童・生徒を対象とした取り組みも行われており、その効果も実証されている。
 
  そこで今回は、藤田彩香氏ら(2013)の実践的研究を読み、具体的にはどのような効果があるのかを整理してみたいと思う。
 氏らの研究の対象は8~11才の児童。
 結果は、
   多動衝動得点の改善は、不注意優勢型では、75%。混合型では、18%。
      不注意得点の改善は、不注意優勢型では、48%。混合型では、30.2%。
   であった。
  同じくADHDであっても、その効果はそれぞれ認められるものの、その型によって、大きく異なるようである。しかし、いずれにしても不注意行動、多動衝動のどちらにおいても改善が見られると言うことである。また、氏らは考察で前頭葉の注意機能の改善は期待できないものの、頭頂葉の注意機能の改善は期待できるとしている。つまり、マインドフルネスは、行動などの変化だけではなく、脳機能の変化も期待できる取り組みであるようである。脳機能への効果については、日和悟氏ら(2016)も、MRIを使った研究で、数息観と言われる初心者を対象とした簡単な集中瞑想においても、注意制御への影響が生じていると報告している。
  私自身の児童への取り組みにおいても、児童が終了後に落ち着いた様子を見せ、「気持ちよかった」と言う感想を聞くにつけても、それ相応の効果があるのではないかと思っている。もちろん長期的に経過を見ないといけないが。
 


参考文献 不注意及び多動・衝動行動を示す児童に対するマインドフルネスの効果 
                         山下歩、蓑崎浩史、西川真生、森彩香、島田洋徳
                                         人間科学研究 第28巻 2号(2015) 
                  児童に対するマインドフルネストレーニングがADHD症状改善に及ぼす影響
                        藤田彩香、橋本累、島田洋徳
                                    Human Development Research(2013、Vol27)          
                 脳機能情報による瞑想状態の検討
                       日和悟、飯塚まり、廣安知之
                    The 30th  (2016)

2016年11月1日火曜日

知的・発達・精神障害者生活困窮は自己責任なのか?

                読売新聞 ?10/28(金) 
 生活困窮や貧困の問題を考えるとき、見落とされがちなのは障害のことです。知的障害にあたる状態でも、障害の認定を受けていない人が大勢います。障害が見過ごされていることが多いのです。知的能力が境界域(ボーダー層)で障害とされないレベルの人も相当います。発達障害、精神障害についても似た状況があります。生活保護や生活困窮者支援を現場で担当する職員に聞くと、そういう人たちに日常的に出会うと言います。
 (中略)
 軽度の知的・発達・精神障害の人たちは、社会生活でうまくいかない場合があるほか、就職を望んでもなかなか採用されないこと、働いても長続きしないことがあります。これは能力の個人差に加え、産業構造の変化も関係しています。単純労働や職人的な仕事が減り、求人の多くがコミュニケーションや複雑な判断を要する仕事になってきたからです。自分の生活費を稼げないのは努力不足だ、働く能力があるのに生活保護を受けている、などと簡単に自己責任にできるような問題ではないのです。
 (中略)
 知的障害レベルでも療育手帳を持っていない人が非常にたくさんいることは、確実です。年配の人の場合、かつては特別支援教育も不十分で、周囲も本人も知的障害と思わずに過ごしてきたケースが多いのでしょう。若い世代でも、普通に高校を卒業して、30代になって知的障害ではないかと言われ、療育手帳を取った人もいます。なかには大学卒でも知的障害と思われる人がいます。
 (中略)
 知的なハンディキャップのある人も、感情は一般の人と変わらず、プライドもあります。軽度の知的障害の人の場合、日常会話は普通にでき、筆者の経験上も、少し話したぐらいでは障害とわかりません。運転免許を取る人も少なくありません。根気のいる単調な作業は得意な人が多いようです。
 (中略)
 一方、たくさんのことを長く覚えていることや、抽象的な概念、複雑な思考は苦手で、言葉の表現力が乏しいのが一般的です。計画立てた生活や計画的な金銭管理も苦手です。悪徳商法など他人にだまされやすい傾向もあります。そうしたことが、就労時の不利やトラブルに加え、生活面での困窮にもつながりやすいわけです。計画性の不足や劣等感を背景に、パチンコやギャンブル、酒などにはまってしまうこともあります。
 (中略)
 ホームレス状態の人の場合、1990年代後半から2000年代前半は、生活に困って仕方なく路上で暮らしている健常者が多いと、筆者はインタビュー取材を重ねていて感じました。その後、生活保護の適用などで人数が減るにつれ、路上に残っている人は知的障害や精神障害を持つ割合が高くなったようです。2010年4月20日の読売新聞(大阪、西部)朝刊に載せた筆者の記事の一部を紹介します(現時点に合わせて一部の表記を修正・補足)。
 (中略)
 発達障害者支援法が05年度に施行されてから、発達障害と診断される子ども、特別支援教育を受ける子どもが増え続けています。増えた背景には、障害の社会的認知、制度の周知、親の意識の変化といった社会的要因がありますが、ひょっとすると生物学的にも増えているかもしれません。
 (中略)
 発達障害は、程度によりますが、知的障害を伴うなら療育手帳、そうでなければ精神障害者保健福祉手帳の交付対象になります。大人になってわかる発達障害も少なくありません。ここまでは健常、ここからは障害とはっきり線引きできるものではなく、見過ごされているケースが多数あります。特性を発揮することで社会的に活躍する人たちがいる一方で、人間関係のトラブルが起きて職場に不適応になったり、うつなどの精神症状が出たりして、生活の困難につながることもあります。
 (中略)
 知的障害の人の多くは、単調な作業でも、根気よく続けることができます。昔は、そういう人に向く仕事がありました。まず農業です。季節や天候を踏まえて計画的に作物を栽培するには複雑な思考が必要ですが、ほかの人から段取りを教えてもらい、農作業をするだけなら、十分にやれたでしょう。次に鉱山、工場、工事現場です。そうした場での比較的単純な労働は、知的障害の人に向いていたはずです。町工場で親方の指示に従って働く人たちもいました。
 (中略)
 発達障害のうち自閉症スペクトラムの人はどうか。コミュニケーションは苦手でも、こだわりが強いのは長所にもなりえます。農業や漁業は、必ずしも人間関係が円滑でなくてもできたでしょう。もっと向くのは、職人的な仕事です。腕が立つ一方で、頑固で気難しい職人さん。その中には、アスペルガー障害の人がけっこういたのではないでしょうか(このあたりは、発達障害に詳しい精神科医、高岡健さんの話を参考にした)。
 (中略)
 ところが農業の規模は小さくなり、商品として出荷するために栽培の手順が複雑になりました。鉱業はほとんど消滅し、製造業も機械化が進んだうえ、海外に生産拠点が移っていきました。建設業の現場も機械化が進行しました。手先の技能を求められる職人的な仕事も減りました。
 (中略)
 このごろ求人が多いのは、飲食・販売・サービス業、医療・福祉、IT関係などです。お客さまとの対話や職場内でのコミュニケーション、あるいは複雑な思考を求められる職種です。
 (中略)
 時代の変化、日本の産業構造の変化に伴って、障害を持つ人の一般就労の場が減ってきたと考えられるわけです。せめて障害者枠の雇用をもっと増やさないと、カバーできないでしょう。

 この記事の場合は、知的障害者や発達障害者について書かれていますが、障害者ということで幅を広げて考えてみますと、今現在元気で過ごしては居ますが、いつ何時事故に遭ってしまうか、あるいはうつ病などの精神障害を持ってしまうかわからない。そうした障害を持ったときに、障害者という立場で見られる事態に陥ったときに、自己責任論を突きつけられるのかと思うと、ぞっとする。
 七尾市にある就労支援施設のパンフレットに素敵な言葉がありました。「障害があろうとなかろうと、故郷を大事にする想いは一緒です」「障害者がいつも支えてもらう立場ではなく、障害者も居ないと市が活性化しない」「理想を現実にする」「活動」とありました。
 障害者も居てこその活性化で、それを理想としての活動だと述べています。だれかが役に立たないからといって排斥されて、それを自己責任だといわれてしまう。そんな社会がいい社会ですか。豊かな社会ですか。
 確かに、時代の変化、日本の産業構造の変化が、就労の場を狭めたという側面はあるとは思われます。しかし、そうした変化は誰が作り上げたのか。競争原理一辺倒で、能率主義・効率主義、そして自己責任論が作り上げた変化ではありませんか。いらないもの、役に立たないものを、どんどん、努力しないからだろうと言う考え方をもとに、排除し切り捨てて、そして勝ち残ったものが微笑み合っている社会は、やはりおかしいとしか思えない。
 この記事を読みながらつい色んなことを考えてしまった。
原昌平(はら・しょうへい)
読売新聞大阪本社編集委員。
1982年、京都大学理学部卒、読売新聞大阪本社に入社。京都支局、社会部、 科学部デスクを経て2010年から編集委員。1996年以降、医療と社会保 障を中心に取材。精神保健福祉士。2014年度から大阪府立大学大学院に在籍(社会福祉学専攻)。大阪に生まれ、ずっと関西に住んでいる。好きなものは山歩き、温泉、料理、SFなど。編集した本に「大事典 これでわかる!医療のしくみ」(中公新書ラクレ)など。

2015年10月16日金曜日

不登校になりそうだ どうしたらいい?

不登校になりそうだ どうしたらいい? 
 
   車で送っていけるのだったら、連れて行きましょう。
 
 どうしても乗らない。どうしても降りない。その場合は無理はしない。
 不登校には、「頑張りすぎて、行きたいけれども行けない」とか、「少しゆっくり休ませましょう」「登校刺激をせずに」とか、あるいは「登校刺激を与えてはいけない」などと言った固定的な考えが広く行き渡っているように思われます。
 
   米澤(2011)は、「高い不登校の一因」となっていると述べ、不登校児(生)には、「学校へ行きたいが行けない子」だけではなく、
 
   ① 学校へ行くことの意義を感じないマイペース型
 ② 頑張ることへの懐疑型
 ③ 萎縮緊張型
 ④ 他者による自己への評価についての不安が高く、逃避や防衛に走る自己評価不安型
 ⑤ 環境不適応、適応不全によるもの(小1・中1、転校生に多い)
 ⑥ 友人関係とのトラブルが原因の親和不安
 ⑦ 母親等との心理的な分離を不安に感じる分離不安型
 ⑧ 虐待のうちネグレクトによるもの
 ⑨ 不登校という行動で教師や親の注目を集めたい自己への注目希求型
 ⑩ 睡眠障害によるもの
 
   等々様々な理由・タイプがあり、刺激や支援が必要な場合があり、それぞれの事情と 特性を理解した支援が必要であると述べ、更に氏は、学校現場にも広く広報していく必要があると言っている。
 

    私自身、例えば親御さんや学校の先生方から「学校へ来させていいですかね」と言った質問を受けることがしばしばある。そうしたときどう答えるか。「車に乗せてでも連れてこられるなら登校させましょう」。本人が車に乗らないとか、車から降りないとかして、登校することを強く拒むなら、もちろん、「無理をしない」と答えています。その時は、本人の思いに寄り添いながら、理解を深めながらそれに応じた取り組みをすると言うことになります。
 もちろん、学校に来ているからと言ってそれでよしというわけではなく、少なくとも「登校渋り」があるわけですから、米澤が指摘しているような観点から、理解を深め支援を講じるということになります。
 
   いずれにしても、今だに単純に「登校刺激を与えない」「ゆっくり休ませる」などと半ば機械的に取り組まれていることが存外多いことに、氏と同様に私自身も違和感を感じています。


 参考文献
   和歌山大学教育学部教育実践総合センター紀要(2011) 
      学校教育における発達支援の事例検討    米澤好史

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2015年10月7日水曜日

「愛着障害」脳が20%減少

    新聞より
 
    親から虐待を受け、情緒不安定になる「愛着障害」の子どもは健常な子と比べ、視覚や感情の働きに関わる脳の部位の容積が減っていることが福井大の研究で分かった。障害の仕組みの解明や予防法の開発につながる可能性がある。

  福井大の研究グループが十~十七歳の愛着障害の二十一人を対象に、脳を磁気共鳴画像装置(MRI)で調べた。後頭葉で脳神経細胞が集中する灰白(かいはく)質の容積が局所的に少なく、虐待を受けなかった健常な二十二人と比べ、平均で20%減っていた。情緒面や対人関係の問題が深刻な子ほど、減る傾向にあった。
 
   愛着障害は身体、心理的虐待やネグレクト(育児放棄)が原因で起きる。発達障害と酷似した症状のため診断が難しく、国内の統計はない。
 
   海外には施設や里親の養護を受ける子の四割に愛着障害があるとの研究がある。
 研究の中心を担った島田浩二特命助教(34)は「障害になる前に異常が見つかれば、発症を予防しやすくなる可能性もある」と話す。


   2015年(平成27年)10月7日(水) 中日新聞 CHUNICHI WEB


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2015年9月19日土曜日

我が子が不登校になったら  Ⅳ

我が子が不登校になったら Ⅳ
 
 どんな取り組みが更に考えられるだろうか。(前回の続き)
 
  家族と外へ向かって出かけることは前回考えたところですが、一緒に遊ぶことは遊びを通して確かな関係性を構築することいなる。更に、そうした遊びの中で、例えば、家で本人が興味を持っているなら将棋やオセロなどをするのもありだと思う。特にゲームなどに夢中になっている人をゲームから少しずつ距離をとらせ、離脱させる方法の一つとも言えるだろうし、対人関係をより豊かなものとするためにもなると思われます。
 人と人との関係性を構築する上で、趣味というのは大きな介在物(仲立ち)となり得る。また、外へ出ると言うことであれば、魚釣りもいいように思われます。親子で釣り自慢や、道具の工夫などやりとりするのも楽しい。ボウリングなど軽い運動系のものもいいかもしれない。好きなことに打ち込めるというのは人生をより有意義に過ごすためには、どうしても必要なことであるように思われます。
 自分の話になるが、子どもの頃に父に何度も連れて行ってもらった釣りを、今この歳になって、思い出しながら、週に2日は釣りに出かけている次第です。
 料理を作るのも非常にいいようです。料理作りは、プランニングであるとかの色んな脳を刺激をする要素が含まれており、また、コミュニケーション能力を高めるという研究もあります。更に、それを食べた家族が「おいしい」「有り難う」などと言えば、本人の自尊感情も高まるし、存在感、有用感も高まることが期待出来ます。もちろん幼い子ならば、最初は一緒にし、お手伝いという形で、可能になれば少しずつ任せる形を取のがいいと思われます。一緒に、コラボすることの意味と、やがては自立すると言う意味で少しずつ任せると言うやり方が言いように思われます。
 少し話はずれますが、高橋和子氏は「家庭でできるソーシャルスキル援助」(高機能自閉症児を育てる、2010)で、例えば、食事に関してはカップラーメンを作ることから始めています。氏の取り組みでは、初めは一緒に床屋へ行きそのうち一人で床屋へ行くと言ったような取り組みや電車の乗り方が切符の買い方から始めて、やがては一人の小旅行を行うなど、いろいろな取り組みが年齢を軸にして、この年齢ではこれが出来るようにとかプランされています。自活、自立に向けて取り組みのあり方の一つとして大いに参考になるのではないかと思います。
  私自身の関わりの実際の例ですが、不登校の中学生の相談で見えていた母親とのやりとりで、「そういえば父親が、若い頃ドラムをやっていた。」と言うことで父親に話したら、久しぶりに「息子と一緒にやるか。」となり、父親もその気になって取り組んで、やがてついには、彼は外で披露し始めたということでした。
  楽器はともかくとして、カラオケもいいのではと思います。思い切り歌を歌うことで、発散し心のケアにもなり得る。また、カラオケをもとに、お友達と歌うきっかけにもなり得る。人と人をつなぐ物は何も言葉だけでなく、いろいろな物でつながっている、と言うよりむしろ趣味であるとかの取り組んでいる物を介してつながり合っていることの方が多いように思われます。従って、もし家族で何かを取り組め、家族で楽しめるならるようなことがあれば、それに越したことはないように思われます。それを介在させて人と人とのつながりが広がればいいように思われます。
 
   また、重要なことは、家族であろうと誰であろうと、人と一緒に何かをして楽しかったと言う思いであるとか、感覚とか感情をより沢山豊かに経験出来ていることが、その後の社会へ出るための意欲を高めると思われます。不登校になったと言うことは、恐らく大きな要因の一つとして、人間関係につまずいた可能性があると思われます。そうすると、苦い経験をした、あるいはしているのであって、となれば社会(学校)へ出るためには、それを乗り越えるための更なる意欲が必要になってくるように思われます。そのための取り組みの一つとして、今何が取り組めるかと考えて時に重要な取り組みの一つではないかと考えられます。人と何かをして楽しかったと言う思いが、意欲を高めると考えられます。社会って楽しいな、面白いなと言う思いがなければ、自分の世界だけに居ればいいやと言うことになりかねない。その方が気楽だし。
 

 ところが、太陽を浴びて、散歩もして元気が出てきた。けれども学校へ行かない。親御さんは「元気なのに、家でゴロゴロして、ゲームして」「腹が立つやら、悲しいやら」「何で、何で」「そう思ったらたまらない」とおっしゃいます。周囲から、どうしても怠け者、怠けているとみられてしまいがちですし、親としても、理解はしていたとしても、苛立ちを覚えるの当然であるように思われます。
 
 が、子どもの方は、行かないのではなく、行けない現実があるようです。「先生、移動教室へ行くときも、何をするときも誰も声かけてくれず、いつも一人でいる寂しさ分かりますか。」「ぽつんと一人で、更衣室の暗い部屋でに居る。いつもそんなん。」「このつらさ分かりますか。」「おかあさん!何も分かっちゃいない。」「授業中はまだ誰もあまり話をしないのでいいけど、休み時間、ひとりぼっちです。」不登校のほとんどの子たちがこのように言います。誰にも相手にされていないつらさ。意識的にそうされている場合もあるだろうし、いつの間にかそうなった場合もあるかも知れない。色んなケースがあるように思われます。また、逆に、多人数や人との関わりが苦手な子たちも少なからず居るように思われます。そうした子たちもやはり教室には入れないケースが多いようです。
 そうした子どもたちの思いを、まず理解することが不登校の問題に対処するため大前提ではないかと思います。そのことがなければ、本人さんの応援を考えたときにうまくいかないことが多い。私自身の失敗ケースですが、「要は学校へ行けって言うことでしょ。」と言われて、面接は終わりになった。苦い経験をもとに、遠回りのようですが、本人さんの思いであるとか、やはり成長発達を基本に据えた応援が肝要ではないかと、思っているところです。
 
 今回はここまでにします。 
 
 次は居場所について整理し考えたいと思います。

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 参考文献
   調理による脳の活性化(第一報)  川島隆太・山下満智子ら  日本食生活学会誌(2006)
   思春期のここが肝心           成田奈緒子(監修)      石川県教育委員会(平27年度版)  
   脳の進化で子どもが育つ       成田奈緒子          芽ばえ社(2006)
   セロトニン欠乏脳            有田秀穂            日本放送出版協会
   高機能自閉症児を育てる       高橋和子           小学館()